水泳日本代表コーチ・東京スイミングセンターコーチ。1963年生まれ。早稲田大学卒。大学2年で選手からマネージャーに転向以後、選手の指導・育成の第一人者に。北島康介を中2から指導し、オリンピック2連覇に導く。ほかに中村礼子も2大会連続銅メダル。
IMGシニア・バイス・プレジデント/マネージング・ディレクター・ジャパン。1957年生まれ。立教大学卒。博報堂でスポーツ・マーケティング事業の立ち上げに携わる。99年に退職後、CEキャピタル入社、傘下のCEエジソン生命宣伝広報部長、マイクロソフトMSN事業部マーケティングディレクターなどを経て04年、IMGに移り再びスポーツ・ビジネスに携わる。
クララオンライン代表取締役社長。1981年生まれ。早稲田大学大学院修了。15歳でサーバーサービス会社を起業。中2のときに医療過誤により首から下が不自由になるが、20歳を前に奇跡的に快復。修士論文は「アジアにおけるITインフラ発展構造の分析とブロードバンドスポーツコンテンツの可能性」、著書に『僕が15で社長になった理由』。
日立システムスキー部監督。1955年生まれ。中央大学卒・早稲田大学大学院修了。クロスカントリースキー選手として国体にも出場する一方、96年より障害者スキーの指導に携わり、パラリンピック3大会(長野、ソルトレイク、トリノ)のヘッドコーチ、監督を務める。修士論文は「日立システムスキー部の事例からみる障害者スポーツ支援モデルに関する研究」。
日立システムスキー部所属。1963年、北海道栗山町生まれ。21歳で交通事故により車いす生活になる、96年よりシットスキーを始め、トップ選手に。パラリンピック3大会(長野、ソルトレイク、トリノ)連続出場。04年ワールドカップで金メダル(5km)。
楽天株式会社代表取締役会長兼社長。1965年生まれ。一橋大学卒。ハーバード大学経営大学院でMBA取得。95年、日本興業銀行を退職し、クリムゾングループ設立を経て、97年に楽天創業。03年よりヴィッセル神戸、04年より東北楽天ゴールデンイーグルスでプロスポーツに参入。講師として4度目の登壇(04年、05年、06年、07年)。著書に『成功のコンセプト』。
読売新聞東京本社代表取締役会長・読売巨人軍オーナー。1939年生まれ。慶応義塾大学卒業後、読売新聞入社。社会部長、総務局長などを経て2004年、東京本社代表取締役社長、07年、代表取締役会長。巨人軍オーナーには04年に就任。05年度にも講師として登壇。
プロテニス選手・慶応義塾大学テニス部監督。1974年生まれ。慶応義塾大学卒・早稲田大学大学院修了。ジュニア時代から日本代表の経験多数。00年、銀行員からプロ選手に転向。06年、母校テニス部監督に就任。修士論文は「男子トップテニスプレイヤーの育成モデルに関する研究-世界ランキング100位以内日本人選手の大学における育成」。
元サッカー日本代表選手。 1971年生まれ。早稲田大学卒・同大学院修了。大学卒業後、鹿島アントラーズ入り。不動の左サイドバックとしてJリーグの黄金時代を築く。05年に現役引退後、JFAアンバサダー、サッカー解説者として活躍中。修士論文は「『選手』『サポーター』『フロント』三者相互のリスペクトが取り戻す満員のスタジアム-理想のJリーグクラブ象」。
日本初のプロ卓球選手・日本卓球協会理事。グランプリ所属。1967年生まれ。明治大学卒・早稲田大学大学院修了。ドイツ文でスリーガ、中国超級リーグなどを経験。オリンピック4大会(バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ)連続出場。修士論文は「ブンデスリーガ・中国超級リーグとの比較を踏まえた日本卓球リーグに関する研究」、著書には「ザ・プロフェッショナル-白球に賭けた卓球人生」ほか。
早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授。1960年生まれ。横浜国立大学卒。ハーバード大学行政大学院で行政学修士取得。大学卒業後、通商産業省(現経済産業省)入省。在ブラジル大使館一等書記官、資源エネルギー庁石油・天然ガス課長などを歴任しつつ、Jリーグ設立02年ワールドカップ日本招致に参画。02年に退官後、06年まで日本サッカー協会専務理事。
早稲田大学スポーツ科学学術院教授。1957年生まれ。東京大学卒。同大学院で教育学博士取得。専門は運動生理学、体力科学。健康増進に関する実践的研究に従事。日本ウォーキング学会事務局長。著書に『運動と循環』(共編著)、『スポーツを取り巻く環境』(共著)ほか多数。